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小論文対策講座 第5回

「いきなり」書き出さない。(後篇)

先回は、具体的な答案作りの前提条件として・・・

書き始める前に、答案の最初から終わりまでの部品を箇条書きにして、解答作成の全体的な見通しを確保しておくべし。

・・・ということをお話しました。今回は、それを実際にお見せしてみようと思います。

まずは、以下の例題をお読みください。これをご覧いただいている皆さんが実際に答案を作成するかどうかについては、お任せします。書いてみようと思うようでしたら、もちろん答案を作ってみてください。「答案を作ることまではちょっと・・・」ということでしたら、箇条書きだけでも作って、それから先を読んでいただくとよいかもしれません。

〔例題〕
次の文章を読んで、後の問に答えよ。



 あなたも私も、一個の個人(個体)として生きている。

 一緒に食事をして、あなたが「ああ、おいしい」と思い、私も「おいしい」と思ったとしても、そして「おいしいですね」と承認しあったとしても、あなたの味わった感覚は私には決して味わえないし、私の味わったうまさをあなたは味わうことはできない。ただ、互いに自分の体験した感覚から、他人の味わったものを推察しているにすぎない。異常に親しい間では、相手の感覚が「我がことのように」伝わってくるというけれども、それもそう思うだけの話で、実際に相手の感覚そのものを感じてみるわけにはゆかない。

 人間は、個体の間で言葉による意思の疎通ができるという意味で、特別な生物である。「眼は口ほどにものを言い」というから、言葉を使えることはそれほど有利ではないかもしれないが、人間では個体間の情報の交換がよく行われるといえるのに、よく考えてみると本当に意思が疎通しているのかどうかわからない。よく哲学の話題になることである。このように、種を構成する個体は、確かにその種に属しているとはいえ、一面では、それぞれに独立した存在である。動物の死を定義する場合、しばしば次のような問題が持ち出される。心臓が止まってから死んだと判定されたときにも、体の筋肉を刺激すれば筋肉は収縮する。したがって、筋肉はまだ生きているのだ。死後に眼の角膜を切り取って、角膜に損傷のある人に移植することが行われる。角膜を提供した人は死んでいても、角膜そのものはまだ生きていたのである。こういうことは、いろいろな器官についていえる。さらに、それぞれの器官が死んでも、その一部の細胞や組織はまだ生きている、ということがある。いったい、どこをもって「死」というのか。「脳死」についての議論が続くのも当然なのだ。

 生と死を考えるのに、この問題は重要である。しかし、忘れてはならない重大なことがある。それは、生は、あくまで個体を単位とするということである。

 生命の単位は細胞といわれる。これは、高校の教科書でも詳しく述べられているとおり、たしかに事実である。しかし同時に、事実の一面にすぎない。細胞は単独で空中に浮いているわけではない。実験的にヒトやその他の動物の細胞を切り出して、非常に好適な条件を整えた容器に入れれば、細胞を培養し、生活させ、増殖させることができる。しかし、それはあくまで「ヒト(またはネズミ)の細胞」であって、ヒトでもネズミでもない。細胞の「生命現象」は続くだろうが、ヒトやネズミの生物現象はない。それは、細胞が集まって個体になっているときにだけ観察できるのである。

 生命を担う最小単位である細胞は、少なくとも自然条件の下では個体というまとまった形の中でこそ、その役割を果たしている。われわれが実験的に手を貸して、そのような条件をつくりだすことはできる。しかし、単独では存在しえない細胞が、だれも他のものの手を借りないで多数が集まり、かつ分業して、おのおのの生命を担いうる状態――つまり個体――をつくり出していることに、われわれは十分注目する必要がある。

(日高敏隆 『新しい生物学』による)



設問
上の文章を踏まえて、あなたが実際に医療の現場に立つ時に持つべき心構えはどのようなものか、600字以内で論じなさい。

以上、例題です。では、先回申し上げたことに基づいて、答案作成手順を以下に示します。答案や箇条書きを作る気のある方は、これ以下については作成してからお読みください。

(1)

まず、注目ポイントを決めましょう。ここで課題文の読み方まで細かく説明していると方向性が逸れますので、結論だけにとどめます。私が課題文から読みだした結論は・・・

確かに生体活動の最小構成単位は細胞や臓器であろうが、「生命」というものは、それらが集まり分業しつつ構成する、有機的な個体を単位として考えるべきだ。

・・・というものです。本文がいかに長くとも、大体このくらいの字数と情報量に収まるくらいに課題文をまとめましょう。そうしないと、課題文のまとめに対する自分の議論がどんどん錯綜していきます。課題文が一点に集約できないということは、それを踏まえた議論の方向性も適切に限定できないということです。

(2)

次に、課題文に対して自分の言いたいことを箇条書きにしてみましょう。

まず、課題文自身の要約は最初に置いておこうかな・・・。これで一点。

次に、課題文は「生命」を「細胞や臓器」レベルで捉えることに否定的でした。これには同意したいところです(別に反対意見を述べてもいいのですが、そこは人によりますね)。ということは、「個体」レベル・・・医療に引き付けて言うなら「患者(人間)」レベルで「生命」を捉えよう・・・こんな議論ができれば、課題文を踏まえた持論提示になりますね。これで一点。

・・・だとしたら、医療の対象を「細胞や臓器」レベルで捉えることの問題点も書いておこう。つまり、裏側から持論を補強するわけです。これで一点。この時点で、表から「医療対象は患者である」と論じ、裏から「医療対象は臓器ではない」と論じる・・・という両面作戦になりますね。

そして最後に、軽くまとめを書く。これで一点。

以上、4つで構成してみようと思いました。

この段階で、問題冊子の端に「箇条書き」を作ります。メモは、例えば以下のようになります。

  • 課題文(生命=個体/生命≠細胞・臓器)
  • 賛成 → 医療対象=患者(ひとりの人間)
       → 医療対象≠臓器(人間を見ていない)
  • まとめ

このように、自分の書こうと思ったことを、単語に代表させて記しておくわけです。

(3)

次に、字数を決めましょう。先回申し上げたように、「書いたら○○字になった」ではなく、「○○字で書く」という発想です。字数もあらかじめ先に計画しておくわけです。

設問は600字という制限を設けていますから、制限ギリギリの100%で書くとすれば、概算で1パーツにつき150字ですね。ただ、まとめはそれほど字数がかかるものでもないので、大体50~60字で済む・・・。とすれば、最初の3パーツに平均170~180字はかけられる・・・という計算になりますね。

字数については、これくらいの軽い見通しで大丈夫です。先ほどのメモに書き加えると・・・

  • 課題文(生命=個体/生命≠細胞・臓器) 【← 170-180】
  • 賛成 → 医療対象=患者(ひとりの人間) 【← 170-180】
       → 医療対象≠臓器(人間を見ていない) 【← 170-180】
  • まとめ 【← 50-60】

・・・という感じです。これで、この先にある課題が、「600字の1本」などという辛い作業ではなく、「170~180字の3本に、1本おまけ」というラクな作業に変わりました。

(4)

ここまで来れば、あとはパーツひとつひとつを順番に答案に書き表していくだけです。「終わり」が決まっていて、それまでの過程も順番にすべて決まっていて、おまけに字数の句切れ目も決まっている・・・。そんな状態です。

以下に、上のメモに基づいて私が書いた解答を提示しておきます。

〔解答(案)〕

 生命というものは、生命反応を示す最小構成単位である細胞や臓器でもって捉えられるべきではない、生命はそうした部品同士が集まって形成している個体を単位として捉えられるべきである、これが筆者の主張である。では、このような筆者の主張が全面的に受けいれ可能であるとした場合、我々が目指すべき医療行為はどのようなものになるだろうか。

 それは、何よりもまず患者を診療する際の医師の構えに現れるであろう。患者はただの臓器の集合体などではなく、人格をもったひとりの人間である。確かに患者は、自らを構成する臓器のひとつが機能不全に陥っているという意味において病んでいる。しかし、患者はそれと同時に一人の人間として病んでいるのである。

 そのように患者というものを捉えられる場合、医師にとっての課題は、病んでいる臓器の機能を回復させることだけではないだろう。患者の臓器が示す数値だけを考慮し、目の前の患者が訴える苦痛には目を向けないという対応は、あってはならない。患者が人として示している苦痛そのものと向き合う必要もまたあるはずである。それだけではなく、患者の治療過程での不安、恐怖、ひいては治療後の生活そのものにまで視野を広げるべきである。

 以上のように、人間としての生そのものの癒しを含めた治療を心がけることこそが、医師として必要な心構えだと言うことができるであろう。

(571字)

原稿用紙に書いているわけではないので、段落ごとの行換えによって更に字数は伸びるでしょう。それでも、600字には収まりますね。

以上、先回一般論としてお話した答案作りのプロセスを、具体的にお見せしました。あくまでこれはプロセスのひとつの形であって、これが絶対的に正しい書き方だということではありません。ただ、少なくとも何の見通しもなく文章を書いていくという答案の作り方よりも建設的だと思います。

では次回は、今お見せした答案作りの中から言えることを、もうひとつお話しします。

安達 雄大

安達 雄大

昭和53年生まれ。名古屋大学文学研究科博士課程出身。学生時代より大手予備校で指導を開始。現在は現代国語講師として全国で活躍する傍ら、医学系予備校で小論文指導も手掛ける。日々たゆまぬ研究に裏付けられた切れ味の鋭い現代国語の講義と丁寧な小論文指導により、受験生から絶大な信頼を集める。

 

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