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東大への道(合格体験記L・Z君)②

ところで、まだ言っていなかったが、私は文科一類に所属している。東大入試において、私は社会を勉強せずに文科一類に入学した。つまり、私は後期試験合格者だということである。ここまで勉強法を偉そうに語ってきた私は、理系として受けた前期試験に落ちた身なのだ。以下に、予期せず大学合格時に文転するに至った話をしよう。

私は、高校二年生の時、文理選択で理系を選んだ。別段得意だったわけでもない、むしろ苦手だった数学をⅢ・C分野まで勉強したいという理由で。多少の打算はあった。もしこれから文系の学部に将来進みたいと思っても、受験において数学をⅢ・C分野まで習得しておくことはメリットこそあれデメリットは存在しない上、文転しても、社会はもともと得意であるから何とかできる。いざとなったら、文転が可能だろう、そう考えて理系に進んだのだ。しかし、現実はそう甘くはない。簡単に文転などできるはずもないのだ。これは本人の心持ちの問題となってくるのだが、高二で文理選択した場合、文理変更のタイミングは往々にして高三進級時になる。そこに至るまでの理科、ないし社会の勉強はほぼ無駄になるのだ。さらに、変更してから、もともとその選択をしていた者たちと戦うために彼らに追いつき、勝つためには追い越す必要がある。その苦労を考えると、文理変更などはまず考えられない。もちろん変更を強行して、見事合格する猛者もいるが、それには普通の受験勉強の数倍の苦難があると聞く。文理選択は将来を見据えて大いに悩み、慎重に行うべきものであった。

 私は文理選択を失敗したと言ってよいだろう。なぜ得意な社会を捨てて、苦手な理科を取ったのか。理系を選択してまもなく、東大に入った暁には、進振り制度を利用して文転しようと決意するに至った。

結果的には、入学前に文転を済ませることができたことを考えれば、前期に落ち、後期で受かったことはよかったといえるのかもしれない。実際、そのような気持ちがあることを否定できない。というのも、進振り制度を利用するにしても、文転にはかなり高い評点が必要となるからだ。しかし、それは私が受験勉強をさぼっていたことを正当化する理由にはならない。私が前期に落ちた理由はひとえに怠惰であったゆえである。

高校受験勉強で、勉強のやり方をつかみ、さらにどういうわけか高校入学後も勉強を日常的にハードに続けていた私は、高一の12月に突如やる気を失った。特別な出来事があったわけではなく、ただ単純に疲れ、さらに“なぜ自分はこんなにあくせく勉強をしているのだろうか”と思ったのだ。ここから一気にダークサイドに転落した。授業中はスマホをいじるか、友達と後ろのほうの席でおしゃべりやトランプに興じる。定期テストの順位は一桁から、一気に三桁になった。当然担任の先生からは面談に呼び出され、何があったのかと心配されるのだが、やる気がなくなっただけだの一点張りで、優等生はただの失礼な生徒へと変貌を遂げた。それでも定期的に学校で受けていた予備校の模試では、同級生と比べても良い成績を取っており、“勉強しなくても俺はできる”とおごる結果になった。これはただそれまでの勉強の貯金ともいうべきものが、私を助けていたのであり、残高がゼロになるのはそう遠い未来ではなかったというのに。

高二に進級しても、怠惰な生活にあまり変わりはなかった。とはいえ、受験に必要な国数英は、日々学校から課せられるものを最低限こなしていた。さすがにこのままではまずいという自覚はあったのだ。しかし、しっかり勉強していたかというとそのようなことはなく、相変わらず定期テストの順位は、二桁から三桁と落ちたままで、予備校の模試の順位もパッとしなくなってきていた。

高三進級後、毎年恒例の高校の文化祭を終え、いわゆる受験勉強を開始したのだが、およそ一年半の間、まともに勉強していなかったゆえ当然と言えるが、自分の理想と現実の学力には差があり、特に理科の不出来に苦しんだ。理科は前述のとおり、知識部分をしっかり押さえることが重要だが、そのとき私には高一レベルのものしかなく、高二の一年間で習得するはずだったものがごっそり抜けていた。これではいくら国数英ができたところで勝負にならないため、教科書を地道に覚えながら、市販の「重要問題集」を物理・化学ともに完璧にすることに努めた。これは夏休みが終わるまでかかり、それまでの間は勉強といえばほぼ理科一本で、他の教科にはあまり力を注いではいなかった。国語に関しては、基本的に東大の過去問を時間を計って解き、それを高校の先生に添削してもらうことで、最初は手も足も出なかったのだが、秋ごろにはなんとか点数を取れるレベルまでになった。英語は「リピート英単語」を完璧にすることと、高校の優秀な先生の授業を受けることで何とかできると踏んでおり、前期入試の91点という点数を見れば、それは正しい判断だったといえる。問題は数学であり、理科ほどではないが、その不出来は私の頭を悩ませた。私は過去の高校の先輩の合格体験記を読み、「国公立大学理系学部への数学ⅠAⅡB」と「同ⅢC」という参考書が数学の苦手な人に薦められているのを見て、藁をもすがる思いでこれらを購入し、実際にやってみたのだが私にはよく合っていた。有名な問題とその応用問題が、解法とともに掲載されており、これを半ば覚えることで、受験数学の引き出しを増やすことができた。

このような勉強を9月までは順調に続けていたのだが、怠惰の癖はそうそう抜けるものではなく、夏休み明け一カ月半は再びダークサイドに堕ちた。漫画を友達に借りて放課後に読んだり、スマホのゲームにうつつを抜かしたりと、息抜きと称することのできないレベルでだらけていた。防衛医科大学の入試が10月にあり、それに向けて学力を高めていく時期であったのに、このような有様であったので、11月に誕生日プレゼントとして不合格を頂戴する結果となった。不合格はさすがに堪え、そこからは意識を変えて再び勉強に励んだ。年末前の相次ぐ東大模試ではそれなりの結果を出して、冬休みに入ったのだが、ここでは二次試験対策の数学と理科をやるばかりで、もともと得意だったセンター試験の勉強はしなかった。結果、いわゆるほぼ“ノー勉”で臨んだセンター試験は九割三分の好成績だった。ここまで読んだ人ならばもうわかるだろう。私はまたしても気を緩めた。二次試験一か月前のプレッシャーもあったと思うが、机に向かわない時間が増えた。過去問を解き、復習をし、学力を仕上げていくこの時期にこの状態では運にも見放されるというものだ。迎えた本試験。感触は悪くなく、たぶん受かっただろうと考えて帰路についた。発表まで約二週間。後期試験の勉強をすべきだったが、ただ遊んで過ごした。そして合格発表日、正午にホームページにアクセスし、自分の受験番号を確認しにいった。

私の受験番号はなかった。当然の結果だった。

 

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