合格体験記 東京大学理科一類2年 辻野建資君①
第一回
皆さん、はじめまして。私は、約一年前、東京大学理科一類に合格し、現在大学二年生として大学生活を送っています。今回はこのコラムで、受験生の皆さん、あるいは高校一年生、二年生の皆さんに私の受験時代の体験、合格までの道のりを紹介したいと思います。
東京大学は日本最難関の大学の一つであることは皆さんご存知でしょうし、皆さんの中にも目指されている方がいるかもしれません。自分も中学、高校時代は東京大学に対して、あこがれや遠い雲の上のような存在のイメージを持っていました。しかし、東京大学に合格することは決して実現不可能なほど難しいことではありません。東京大学は一学年約3000人います。これは、ほかの大学と比べてかなり多い人数だと思います。三千人の中に入り込めばよいと考えれば、断然、身近な存在に思えてくるのではないのでしょうか。
私が東京大学の受験の意思を固めたのはそれほど早い時期ではなく、高校三年生の春です。私が通っていた高校は関西の私立中高一貫校で、そこの生徒は昔から医学部志望と京都大学志望が多数を占めていました。将来のことをほとんど考えていなかった私も、高2途中まで例にもれず京大志望でありました。
志望を変える大きな転機となったのは、高2の冬、友人と東京大学のオープンキャンバスに訪れた時です。それまで、東京大学について漠然としたイメージしか持っていなかった私にとって、本郷キャンパスの赤門をくぐり、偉い先生方の話を聞き、また大学生と話をしたことは大きな刺激となりました。百聞は一見に如かずとはまさにこのことで、それ以降私の気持ちは大きく東大へ傾き、高3で東大志望を決めたのです。
さて、その東大志望を決めた高3まで、私がどのように学生生活や、勉強を行っていたか、紹介したいと思います。
私は高3までは、以下の二つのテーマを自分なりに掲げて勉強を行っていました。
- 塾には出来るだけ行かず、現役で国公立大学に入学する。
- 部活も全力で頑張り、勉強との両立に努める。
1のような考えをどうして持っていたかというと、中学受験時代のつらい思い出があったからです。私の通っていた中学は中学入試を突破しなければ入学できなかったので、小学校4、5、6年の間は塾に通いました。小6だと、週6回塾に通うなんてこともざらで、毎日宿題とテストに追われ、精神をすりつぶされた日々でした。そのおかげで無事に中学入試は成功しましたが、私の心には、もう塾には行きたくないという感情が強く刻まれたのです。
そうなると、必然的に学校中心で勉強しなければならないのですが、私は本当に基本的なことしかやっておりません。その基本的なこととは、授業の復習です。その日あった授業の内容で、わからないことが残らないように、一日約1時間の復習だけは欠かさずやっていました。英語だけは例外で、授業進度が速かったため、次の授業の予習を行っていました。大切なことは、これを必ず毎日行い、ルーティーン化することです。部活動を行っていた自分でも、このルーティーンは短時間で済むためクリアできたし、実際このおかげで、私は高3まで成績も上位を保つことができました。
二つ目のテーマは、高1くらいから意識するようになりました。私が所属していたのは、卓球部です。卓球部というと部活の中でもゆるいイメージを持たれている方が多いかもしれませんが、私のチームでは、弱いながらも真剣に勝ちを目指して活動していました。当然練習も結構ハードなもので、中学の頃は、しんどいし、授業についていくのも大変だし、サボりたい気持ちになったことも何度もありましたが、先輩方が、引退試合で完全燃焼している姿を目の当たりにし、高春の引退まで自分も頑張ろうという気になれました。結局部活は最後まで続けましたが、部活での思い出は今でも、自分にとって財産です。皆さんの中にも、運動部に所属している方がたくさんおられると思います。つらいこともたくさんあるかもしれませんが、やりきったときは必ずプラスになるはずです。
とはいえ、勉強と部活の両立は実際大変です。部活をする時間だけ単純に勉強できる時間は減りますから。どこかで補わないといけないのですが、補えるかどうかは空き時間をうまく活用できるかだと思います。
私の場合、これを通学中にやりました。中高時代は行き帰り、それぞれ約30分かけて電車で通学していたので、電車に乗っている間に、前述した復習をしたり、英単語を覚えたりして、無駄に過ごすことが無いようにしていました。
高3春、部活を引退するまでは、上述したようにあまり詰め込んだ勉強はしてきませんでしたが、いま思えば、ここまでのちょっとずつ積み上げてきた勉強は、高3の受験勉強の素地にはなったのかもしれません。一日一時間でも、毎日つづければ、結構効果はあるものですよ。
次回は高3。受験時代の、私の経験をお話したいと思います。