合格体験記 名古屋大学医学部医学科 木村友哉君①
3年前、私はこの名古屋大学医学部医学科に入学した。名古屋大学と言えば、最近では青色発光ダイオードの天野先生で有名である。また、少し前では2008年に小林先生、益川先生がノーベル賞を受賞している。
よく東大、京大、医学部と並べ立てられるが、名古屋大学は旧帝国大学というだけあってその中でもトップクラスである。入試自体は東大、京大程の難易度は無いものの、それだけに得点率は非常に高く、センター試験、二次試験のうちどれか一科目でも失敗したら、はいさようなら、となってしまう。その点では、東大と偏差値は近いが、必要な能力はまた少し異なったものとなってくるだろう。さて、私がどのようにしてこの大学に合格したのか、私のこれまでの学校生活を振り返りながら記していこうと思う。
こういった難関大に合格する人は、小学生の時から必死に勉強し、中学受験で難関校に入り、その中でもトップクラスで大学受験を迎えられたような人、だと思われるかもしれない。同級生を見ると、確かにそのような人の割合は多いのかもしれない。しかし私はそれと比べると本当に普通の学生だった。小学生時代はほぼ遊んで過ごし、中学も普通に地元の公立中学に進んでいた。学習塾には小学校5年から通っていたが、あまり真面目には勉強していなかった。勉強をさせたい、というより静かに座っている事を覚えてほしい、というのが親の願いだったらしい。それくらいうるさい小学生だったようだ。得意科目は数学、理科で、国語と社会は致命的に苦手だった。絵に描いたような理系である。中学では150人程の中で上5人に入るくらいの成績で、高校は愛知県立明和高校に入学した。ちなみに、冒頭で紹介した小林先生は明和高校出身である。
明和高校は一応名古屋では旭丘高校の次のまあ進学校だと思うが、生徒は地元志向が多く、毎年名古屋大学に数多く入学する。入学時には将来の夢など何も無かったので、例にもれず私も名古屋大学の工学部や農学部くらいの所に行けたらいいな、と漠然と考えていた。高校では、秀英予備校に通っていた。数学の一番上のクラスの先生がかなり良い先生で、厳しいながらもエレガントな解法を教えてくださった。そちらでかなり数学を勉強させられていたので、高校の授業はあまり真面目に聞いていなかったが数学だけは学年でもトップクラスの成績を取る事ができていた。一方で国語と社会は壊滅的で、通称赤点と呼ばれる恥ずかしい成績を取ったこともあった。物理、化学も数学程ではないがそこそ こにできて、英語もそこそこだった。高2の時に親から「医学部目指してみたら」と言われ、確かに成績も目指せるかどうか、くらいだったので気楽に「じゃあ目指してみて受けれそうなら受けようかな」というのが私の医学部受験の始まりだった。
ちなみに高校時に使用していたのは、数学は上で述べた通り塾のテキストと、「青チャート」だった。チャートは解答が詳しく載っていて、またほぼ完璧な解答である。「解けるが解答の書き方がわからない」という人はまずはチャートを見て見よう見まねで書いて練習するとよいだろう。また、「解答にこの一文はなぜ書かなくてはならないのだろう」「なぜこの式変形が思いつくのだろう」と、「なぜ」という視点で見て考えるとそれも実力の向上に繋がるだろう。
物理、化学は「重要問題集」である。まあ受験の王道である。たまに「これで大丈夫なんですか」と聞かれるが、受験問題はウルトラクイズではなく勉強すれば解けるように作ってこその受験問題なのだから、勿論王道でよい、と答えている。基礎からわからなければ、素直に教科書が最適だ。また、化学の参考書として「化学の新研究」という本を勧める。辞書のような分厚い本だが、これを勉強しろ、というのではなくわからない事があったらこれを読んで調べる、という方法で勉強すると良い。また学校で購入する図説も意外と馬鹿にできないもので、特に無機、有機の比較的単純な暗記物もカラーの図で覚えたほうが遥かに印象に残りやすいだろう。
英語、国語、社会については次の章の浪人時代の所で詳しく述べたいと思う。というのは、現役時代ははっきり言ってこれらの受験勉強は疎かにしていたのである。
もう書いてしまったが、結論から言えば私は目指したまま名古屋市立大学医学部を受け、そして落ち、晴れて浪人生となってしまった。ちなみに現役時のセンター試験の合計点は751点であった。国語が特に悪く、6割少ししか取る事ができなかった。
浪人する上で最初に選ばなければならないのが、塾である。私の意見では、浪人では河合塾や駿台予備校などの大手の塾に行くのが最も良いと思う。なぜかというと、大手の塾はまずカリキュラムがしっかりしていて、高校と同じような時間割がある。その上に自分の周りに自分と同じような成績の人が集まるので、浪人生にありがちな何をすればいいのかわからない、自分が本当にできるようになっているのか、という不安が解消されると思う。また、これまでに数多くの浪人生を大学生として輩出しているという事は、ノウハウがそれだけあるという事である。よって塾のカリキュラムに沿って、塾のテキストで勉強すればその行きたい大学には受かるのだ、という安心感を持って勉強する事ができる 。特に理系では駿台が強いと聞いたので、私は高校の同級生と共に駿台に通う事に決めた。
浪人というのは、人生において完全に足踏みである、と私は考えている。自分は大学生になれなかったのだから、どんな大学に通っている人より下である。だから、絶対に一年で抜け出さなくてはならない、という決意で臨んでいた。また、折角浪人するのだから、浪人して良かった、と思いたい。だから、名古屋市立大学ではなく名古屋大学に志望校を上げた。ただ、親に浪人しといて志望校を上げるなどとは言えないので、これは誰にも言わず心の中に留めていた。